mashuuko

はぐれ学生Advent Calendar 2013 の記事となる。詳細はAdvent Caledarのリンクを参照。私も参加し、今回の題目でブログを書くことにした。読者の対象を在学中の大学生(学部)向けに書こうかと思っていたが、自分向けの防備録になってしまったかもしれない。

言葉足らずになりそうだけれど、当時の自分がやってみたい・挑戦したいと思える選択肢があったので、好きな方を選んだ。また、その当時の自分が対処できないと思った問題については、考えても答えが出ないので逃げることにした。未来の自分に問題を先送りしたような気がするし、もうその問題とは向き合う必要のない世界にきたのかもしれない。将来向き合うことになる問題だったとしたら、そのときの自分の活躍に期待したい。これを読んでる人には、何かに悩んでいる時間も悪くはないけれど、その悩む時間も限られた自分のリソースであるということを忘れないでもらいたい。

私は2011年に大学院修士1年目(半年)で退学し、IT企業(ベンチャー企業であり、独立系ソフトウェアベンダでもある。ISVは日本では珍しい)へ就職した。卒業研究の時期を含めればもう3年前のことになる。卒業論文・研究発表が終了した頃には、自分が純粋に研究を続けていきたい、もしくは研究活動に専念するモチベーションがないような気がしていた。 何しろ、大学院における研究活動を経験したことがないのに進学、就職といった大事なことを決めるのだ。未来に対する予測は難しい。しかし、経験に学ばずども、その決断の段階になって十分な情報はそろっている。近年の情報系の大学生のほとんど(たしか8割近くだっただろうか)が進学し、その後になって就職活動をしているわけだ。実は周りに流されて進学を決めただけなのだが、案外それはそれで周辺環境における平均的な人間として前へ進んでいくにはうまく機能する仕組みだと思う。どうだろう?

未来に対する長期的な予測をあてるのは、今も昔も相変わらずにして難しい問題だ。ただ、自分が好む方向へ、ある程度はコントロールできていると思いたい。 進学してからも多いに悩んだ。研究活動、学習、モラトリアム期間の延長、知的好奇心、金銭の支出(幸いにも私は親からの支援もあった)と収入(アルバイトもしくは就職)、いつ就職したときがワーストケースか、といったポイントを片っ端から考えつつ、無駄なような時間を過ごした。たぶん大事な時間だったろう。たくさんのことを考えたが、結局はこころの傾いた方向へ行動した。退学させてもらって、就職した。大学(院)というところは、勝手に退学するのではなく、退学願いを提出して退学させてもらうところだと知った。

修士を卒業するまでに得られる経験というのは、当時の予測は過小評価だったかもしれないが、当時の自分にその情報を与えても行動は変わらない気がする。なぜなら、それも多少のプラスマイナスがあると考えて行動したわけだから。今から大学院に戻るか、という問いならば見えてくる事が違うので、それはそれで面白いと思う。

2011年は無駄とも思えるくらい時間を贅沢に浪費し、情報の入力を遮断し、得られたものが少ないなか大学院を去った。このときの時間の浪費と休暇は、疲れていた私の療養に効果が大きかった。当時の私はこの期間を「人生のゴールデンウィーク」と呼んでいたが、ゴールデンウィークというには短すぎた気がする。それから2年経った。いま自分は満足のいくように時を過ごしているだろうか?